歴史と沿革
児童自立支援施設は、明治中期に民間篤志家が始めた感化事業に端を発した施設です。明治33年に制定された感化法のもとで「感化院」、昭和8年の少年教護法では「少年教護院」、昭和22年に制定された現行の児童福祉法で「教護院」という名称でしたが、平成10年4月の同法の一部改正により現在の名称になりました。
1883(明16)年 1899(明32)年 | 池上雪枝が大阪市北区の自宅に感化院を開く。
1885年予備感化院(翌年東京感化院)、1886年千葉感化院、1888年岡山感化院、1889年京都感化保護院、1897年三重感化院、1899年広島感化院等が創設される。 1899(明32)年 留岡幸助が東京府巣鴨に家庭学校を創設。 | |
1900(明33)年 | 感化法公布 | |
第五条 感化院ニハ左ノ各号ノ一ニ該当スル者ヲ入院セシム
一 地方長官ニ於テ満八歳以上十六歳未満ノ者之ニ対スル適当ノ親権ヲ行フ者若ハ適当ノ後見人ナクシテ遊蕩又ハ乞丐ヲ為シ若ハ悪交アリト認メタ者 二 懲治場留置ノ言渡ヲ受ケタル幼者 三 裁判所ノ許可ヲ経テ懲戒場ニ入ルヘキ者 | ||
1907(明40)年 | 改正刑法公布 | |
刑事責任年齢を14歳に引き上げる。 | ||
懲治場留置廃止→未成年者に対する懲治・感化処分は「感化院」で。 | ||
1908(明41)年 | 感化法一部改正 | |
対象年齢:8歳以上16歳未満→8歳以上18歳未満 | ||
以降、感化院は全国的に広がる。 | ||
1914(大3)年 | 留岡幸助が遠軽に北海道家庭学校を開校 | |
1919(大8)年 | 国立武蔵野学院、開院 | |
1922(大11)年 | 大正少年法、矯正院法公布 | |
1933(昭8)年 | 少年教護法公布 「感化院」から「少年教護院」へ改称 | |
第一条 本法ニ於テ少年ト称スルハ十四歳ニ満タザル者ニシテ不良行為ヲ為シ又ハ不良行為ヲ為ス虞アル者ヲ謂フ | ||
第四条 少年教護院内ニ少年鑑別機関ヲ設クルコトヲ得 | ||
1947(昭22)年 | 児童福祉法公布。「少年教護院」から「教護院」へ改称。 | |
1948(昭23)年 | 少年法、少年院法公布 | |
1949(昭24)年 | 5月 | 少年院法一部改正 |
| 6月 | 少年法及び児童福祉法一部改正 |
初等少年院の対象年齢「おおむね14歳以上」から「おおむね」を削除。触法少年は児童相談所先議。強制的措置の導入。 | ||
「児童福祉法と少年法の関係について」(昭和24年6月15日 厚生省発児第72号 各都道府県知事宛 厚生事務次官通知) | ||
1997(平9)年 | 6月 | 児童福祉法の一部改正 「教護院」から「児童自立支援施設」に改称 施設長に就学義務 |
2004(平16)年 | 11月 | 児童福祉法・最低基準の一部改正 アフターケアの義務化 |
施設内虐待の禁止、自立支援計画策定義務化など | ||
2006(平18)年 | 2月 | 「児童自立支援施設のあり方に関する研究会」報告書 |
2006(平18)年 | 11月 | 改正少年法施行 |
2009(平21)年 | 4月 | 改正児童福祉法施行(被措置児童等虐待防止など) |
児童自立支援施設には、先駆者たちによる伝統的な理念が存在します。主な例を挙げると、よく食べ、よく働き、よく眠ることが子どもの健やかな育成の基本とした「三能主義」。汗を流して一生懸命に物事を行えば、おのずと道は開けるとする「流汗悟道」。子どもは豊かな自然の中で生活をしてこそ育成される「土は人を化し、人は土を化す」を始めとし、「暗渠(下水道)の精神」や「足の裏の哲学」という児童福祉に携わる者は表立たず、子どもを下支えする力強い裏方であれという教え。社会福祉のあり方である”for him(彼のために)ではなく、together with him(彼とともに)”という「withの精神」。目に見えないもの、例えば愛情などが大切であるとする「目に見えない栄養」などがあります。
児童自立支援施設は、感化院と呼ばれた昔からこのような考え方に基づいて、生活モデルで子どもの支援を展開してきました。児童自立支援施設の理念の1つは「共生共育(ともに生き、ともに育ち合うこと)」であり、すべての者がともに成長し合う生活を営んでいるのがこの施設なのです。